『リハビリテーション入門』を至って真面目に読みまして
皆様ご機嫌いかがでしょうか。わたくしリハビリテーション職を目指す大学生、ヒラツカアキコと申します。
日頃より不勉強なわたくしは、将来リハビリテーションに関わる仕事に就こうとしながらも、リハビリテーションの何たるかを語ることができずにおります。
就職試験を控えておりますし、改めてリハビリテーションについて勉強したしと思いまして、この度大田仁史先生の『リハビリテーション入門』なる書籍を手にしたのでございます。
この本を書かれた大田先生は、地域リハビリテーションを切り開いて来られた大先生でいらっしゃいます。この『リハビリテーション入門』のなかでも、リハビリテーション、ないしは地域リハビリテーションについてのお考えを示されておりました。
これよりわたくしがこの本を読んで印象深かった文言を引用などさせていただき、感想なんてものも述べさせていただけたらと存じます。
まずは序章に書かれたこの一文から。
”リハビリは、個々の技術的なサービスを整えることも重要であるが、突き詰めていくと障害をおった人々が地域で普通に暮らせるシステムや町づくりに行きあたると確信を持つようになっていた”
昨今は少子高齢化や人口減少といった問題を抱えた日本において、地域医療や地域リハビリテーションの考え方が重要となると説かれております。地域を語るうえでは、「地域包括ケアシステム」や「まちづくり」といったキーワードがよく取り上げられているように思います。
これに関連して、大田先生は以下のようにも述べられております。
”地域リハビリの本質は、地域が障害者を抱えて疲弊することなく、力強く、すなわち誰もを包み込んでいけるように変わっていくことだと考えている”
これよりわたくし、地域リハビリテーションの本質は、地域を支えるシステムやまちづくりといったところにあるという解釈をして差し支えないと判断いたしました。
地域、地域と言うなれど、どこからどこまでが地域リハなのでございましょう?
わたくしは以前よりそのような疑問をいだいておりましたが、きっと範囲を指定するようなものではないのでありましょう。もっと懐の深い、大きな考え方を示すものなのでありましょう。
”どのような人であっても、最期までリハビリを必要とする。そのことで、人の人権を守ろう、と考える。いわば当然のことで、終末期リハビリは誰も切り捨てないという決意表明であった”
こちらは4章「川上から考えられたリハビリテーション医療の流れ」のなかの一文でございます。
終末期リハビリは「加齢や障害の進行のため、自分の力で身の保全が難しく、かつ生命の存続が危ぶまれる人々に対して、最期まで人間らしくあるように医療、看護、介護と共に行うリハビリテーション活動」と定義されているようであります。
リハビリテーションは対象者の病期や介入する環境(場所)に応じて、「急性期」「回復期」「維持期(生活期)」などに分かれますけれども、「終末期」すなわち死を前にした方に対して行うリハビリテーションはまだまだ発展途上であるように感じております。
大田先生は誰にとってもリハビリは死ぬ直前まで必要であり、それは最期まで人権を守るということでもある、ということをおっしゃっているのではないでしょうか。
これまで比較的注目されにくい分野であった終末期のリハビリテーション、わたくし今後はより発展していくのでは予想しております。願わくば、わたくし自身も終末期のリハビリテーションに貢献しうる人材となることを目指したく存じます。
”地域にはいろいろの考え、気持ちを持って苦悩している障害者や家族が存在する。この人たちに、どのような手を差し伸べるのかを考え、それができるような地域に少しでも変えていく活動が地域リハビリの根本である”
こちらも地域リハビリテーションについての文言でございますが、地域という考えを少々除いたところで、ここで述べられている理念は大きく変わらないのではないでしょうか。
つまりはリハビリテーションの本質は地域リハビリテーションの核と大きな違いはなく、だからこそ「地域」がもてはやされる時代においてリハビリテーションが益々必要とされ、活きてくるのではないでしょうか。
自らの置かれる状況も世の中の情勢も、知らずしらずのうちに変化していくものですが、どんな時代であってもリハビリテーションの理念や考え方に立ち返ることで、よりよい社会の形成につながっていくように感じております。
きっとこの『リハビリテーション入門』、もっと深読みできる書籍であるに違いないのですが、わたくしの未熟さ加減ではこのような浅い理解にとどまってしまいました。
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懲りずに明日からも、精進できるよう努めてまいりたいと存じます。
それではごきげんよう。
ヒラツカアキコ