2人でやるトランプ、楽しむためには技術が要りんす
今宵はアキコ、友人宅にてトランプをするという少々イカした夜遊びをしておりました。
というのも、私の友人は発達障害のあるお子さんの支援をするようなバイトをしておりまして、「こんど自閉症の子とトランプしやうと思ふねん」と仰せだったのです。
そこでバイトで使えるトランプゲームを習得すべく、私は友人と共に2人で楽しめるトランプゲームとはなんぞや、と実践形式にて議論を開始したのであります。
恐らくトランプ世代の最終世代、20代にあたる私たちは、トランプを用いたゲームの種類を実はそんなには知りません。
知らぬことはググって学ぶ、現代の基本に則って、私たちは「ダウト」なるゲームを習得することにいたしました。
「ダウト」とは、1から順に持ち札からカードを伏せて出し、「相手は2と言いよるが、2以外のカードを出したに違いない」という疑惑の念を抱いた途端に「ダウト!」と叫ぶ。嘘がバレたら出されたカードはごっそり手元に引き渡され、手元のカードを早くなくそうと引き続き上手に嘘をつき続ける。そんなゲームなのでございます。
これ、複数人でやると誰がどのカードを持っているのか分かりにくく、適度にほどよく「ダウト!」と言いまくることにより盛り上がるゲームです。
しかしながら、これを2人でやろうとすると、なかなか嘘が嘘だとバレやすく、刺激的な「ダウト!」の叫びもなかなか生きてこないのです。
トランプゲーム、必死でやるのもいいですが、そんな時には「楽しもうとする努力」が必要となりましょう。楽しみにくい状況におかれたならば、楽しむための工夫をいたしましょう。
そう思った私たちは、最初に配るカードの枚数を変えてみたり、手持ちの枚数を隠してみたり、様々ルールの見直しを行いました。
ふむふむ、楽しむためにもある種の努力や工夫が必要なのね、今宵はそのようなことを実感したのであります。
楽しくない、面白くないとすぐに人生諦めモードに突入するのはよしていただき、楽しくするには、面白くするにはどうすればいいかしら?と朗らかに生きて参りましょう。
人生楽しんだもん勝ち、誰が言い出したのかは存じませんが、大変ごもっともなご意見でございますね。
ヒラツカアキコ
淡い恋バナはいつしか重めの婚バナへと移りゆく
こう見えて女子大生、それも歴4年のヒラツカアキコでございます。
これまで20余年オンナとして生きてきまして、それ相応の恋バナというやつを経験してまいりました。
それは大学生となった今でもしないわけでは決してなく、寧ろ話の濃さや現実味、あらゆる側面においてそれを進化させて継続しているのであります。
オトコの人が如何なものかは存じませんが、オンナの恋バナ、高校卒業以後はなかなか淡いことだけ語ってもいられなくなるのが常なのです。
結婚という先人たちが採用してきた大変複合的な仕組みについて、ご飯へ行くたび議論を繰り出す。
我らは本当にそれをしたいのか?するならタイミングはいつなのか?どんな相手が望ましいのか?
愚問を永遠に繰り出し続けてたどり着くのは「考えたって仕方ない」というある意味荒唐無稽な結論で、そうであるのにも関わらずオンナたちは結婚するまでこんな話題を捏ね繰り回して多くの時間を議論に費やす。
ただの恋バナを人生に適用出来なくなったとき、人は恋バナを婚バナ、つまりは結婚などの人生誰かと添い遂げる的な話へと昇格させていくのであります。
わたくし最近思うのです。
これってすごく無駄なんじゃない?真剣に結婚について悩んでるけど、それってマジで意味なくない?
そんなこと言ったって仕方ないのですけれども、この苦難から逃れるためには結婚するしか道が無いような気が致します。
シアワセな結婚という夢を描いて苦難し続ける生活から卒業するため、いろんなことを妥協して適当に結婚しちゃったほうが、寧ろシアワセなんじゃない?
そう思ってしまうのも無理はない、自分で自分を慰める日々であります。
まあ早くに結婚したとて、結婚したらしたでまた次の苦悩が待ち構えているに違いなく、淡い恋バナは重めの婚バナへ、重めの婚バナは更なる何かしらの苦悩話に昇格されるだけの話なのでしょう。
そうなると恋だの愛だの全てが煩わしい存在に思えてきますが、そうではない、愛があるからこその人生よ、なんてことを心から思える人間になりたいものですね。
もう愛なんていらない、あらゆる苦悩の行き先がそこではないことを祈っております。
ヒラツカアキコ
病院勤めする気でいるのに今まで病院にかかってこなかったワタクシメ
わたくし現在、医療専門職の一つである作業療法士の資格を取ろうと日々邁進しております。(邁進はしていない、残念ながら前文は虚偽。)
当然就職先候補はどこかの病院となるのが一般的でして、例にもれず私自身も現住所から程遠くない病院に勤めようと思っているところです。
そんな私、病院ってどういう仕組みで成り立ってんの?患者は何にお金払ってんの?と平気で無知を晒してしまうくらいには、医療のこと、病院のことをてんで分かっておりません。
これについて、これまで自分があんまり病院にかかってこなかったということが、病院に詳しくない一因なのでは?と思い至りました。
ということで、アキコは見て見ぬ振りをしてきたあらゆる身体の不調を改善すべく、皮膚科やら内科やら、さらには婦人科なんかも受診して、患者経験を積むことにしたのです。
ある日婦人科に行きまして、生理に伴う諸症状にまつわる問診を受けてまいりました。
医師を単に先生と呼ぶのはなんだか安易で好きではないのですが、ここでは諦めて先生とお呼びしましょう。
先生へ症状について相談したところ、漢方を飲んでみましょうかという話になりました。
ほんの数分で診察室からは退場し、なんだか単調な世の中になったもんだなあ、なんて分かりもしないこの世の批評をし、待合室へと戻りました。
待合室というだけあって、それはそれは随分と待ちまして、何にそんなに時間がかかっているんだい?全然怒ってないし、事を急くつもりもないが、どうしてそんなに遅いのか不思議でたまらない?というような気持ちになりました。
何をそんなに待っていたのかといいますと、もちろんお会計なのでありますが、この間歯医者に行って親知らずを抜いたときよりも、請求額がお高いこと!
アキコはこれまで婦人科に行ったことがなかったもので、ハァ、婦人科ってのはちょっとの診察で高額請求できちゃう儲かる業界なのね、なんて思っておりました。
此の話、実はここからが重要なのでございます。
わたくし帰宅して以後、それまでスンと無視していた「診療費明細書」なるものに漸くキチンと目を通しましたところ、「超音波検査 単価5300」との記載を見つけました。
もちろん超音波検査なんて受けておりませんし、こりゃ詐欺なのかミスなのか、一体合体何なのでございましょう。
そう思って受診した病院に確認したところ、数日後に「ミス」であったことを謝罪していただきまして、その分は返金してくださることになりました。
これ、たまたま気がついたから良かったものの、ご老人なんかはなかなか気が付きませんでしょう。
ミスはいかんですが、患者も患者なりに自分が払ってる医療費ってのが何なのか、気にしてないといかんのだなあ。
アキコはこの度そんな学びを享受しました。
なんてことない、それだけの話でございます。
本当はもっと面白い話が書けるといいのでしょうが、なかなかそう上手くもいきませぬ。
今回はこんなところでお暇させていただきとうございます。
ヒラツカアキコ
なんでブログなんか書いちゃってんの
今日からブログを始めてみましたヒラツカアキコと申します。
私は地方の大学で、作業療法なるものを学んでおります。作業療法というのは所謂リハビリテーションの一種でして、黙って勉強してれば私はリハビリをする人として働くことになるわけです。
リハビリ職というと今後も需要が高まる気がしなくもないですが、作業療法士は国家資格でありながら、なかなかの薄給で働くサダメの職なのです。
ふらふらと適度に遊び呆けて大学生をしていた私も、薄給で働き続ける悲しい運命に抗うことには意欲を示し、副業だったり複業だったり、将来的にそういったことをする必要があるのではないかしら、なんて考えてみたのです。
副業とひとことに言っても色々あるようですけれども、なんとなくブログ開設してアフィリエイトで稼ぐのがいいのでない?という気持ちになりまして。
サーバー契約してWordPressのテーマを購入して、初期費用をケチらずにぼちぼちやっていくのが筋かしら、と思っていたんですけれども、なんせ私には経済力も継続性も無いわけで。
ひとまずドメイン取得とかいう偉そうなことは言わずに、ブロガーってのがどんなもんか体感してみることにしたのです。
ちなみにこれ初記事なので、下書きしてるたった今、これがどうやって表示されるのかすらアキコは分かっておりません。
ブログ初心者ド素人、これから人気ブロガー目指してみたいと存じます。
ヒラツカアキコ